私が過去に海外ボランティア活動に参加して人生が変わった経験談になります
今、振り返ってみると人生が大きく変わったと思います。大学生で海外留学や英語、スぺ語、タイ語、そして日本語の4か国語を身につけるに至ったきっかけも海外ボランティアだったと思う。
では、なぜよかったのか、何が変わったのか、ボランティア活動などは参加するべきなのか、などなど私の価値観と考えをここで共有したいと思います。
高校生
僕が海外ボランティアに挑戦したのは高校生の時。自称進学校で部活動にも参加せず、勉強も全くできない中、毎日、帰宅後に映画とMTVを見続けるテレビっ子の生活を過ごしていました。
つまり、何にも満たされない生活だった。このままではだめだ。長期休みでは部活動の合宿やイベント、試合など多々ある行事にも参加することない自分は文字通り暇を持て余している時だった。
参加理由(きっかけ)
1年生の時に暇という暇を体験した私は、夏休みこそ何か大きなことをしたい!ここで何かしないとないもできないニートになってしまう(半分なっていた)という危機感があった。
何ができるか。
私自身が興味あることといったら「海外」だ。もちろんお金がかかるし、家族旅行で行ける機会は無し。バックパッカーとしていくには海外経験もないし親への心配が大きくなってリスクが高すぎる。
高校2年生の5~6月ころ。適当にネットで情報を探していて見つけたのが、「海外ボランティア」。しかも「高校生プログラム」という世界中の同世代が集まってボランティア活動と現地で観光するという遊びと社会貢献が同時にできるプログラムだった。詳しく知りたい、できるなら参加したいと思って母親と一緒に運営しているスタッフとカフェで話して体験談や活動内容、具体的な費用などを聞いてきた。
そして、優柔不断な私は決断した。
「よくわかんないけど、行ってみたら面白いかも」
海外ボランティア
私が参加したのは「海外ボランティア」の「高校生プログラム」の「夏休みに参加できる2週間」のプログラム。パッケージになっている活動内容なので、活動場所や活動内容を自分で決めることがないので初心者向けの企画だったと思う。
特徴的だったのが、プログラムに参加する同年代は世界中から集まってくるということだった。15名ほどの参加者の内日本人は私を含めて4名。他は北欧、欧州、アメリカなど英語話者がたくさんいた。
海外ボランティア経験談のキーワードは以下の感じ。
高校生・夏休み・海外ボランティア・高校生限定プログラム・カンボジア・世界中から参加者が集まる・現地集合現地解散
リスク:語学力
参加するにあたって私には危機感があった。それは「語学力」だ。英語は好きだが全く使えない。というより、何言っているかわからない。外国語なので全くわからない。という状態。つまり、無防備、無装備でRPGダンジョンする主人公だった。
このリスクが後に大きな傷を私に与えてくれた。
カンボジア
高校生プログラムの活動場所は世界中だったが、私は「カンボジア」を選択した。理由は3つある。
①日本から比較的近い
海外経験が全くない私は親に心配をかけてしまうと考え、比較的日本から参加しやすいボランティア国→カンボジアという決断に至った。旅費も抑えられ、文化的なギャップも日本に近いほど大きくない。
②英語力の条件
オセアニア地域の海洋プログラムやチベット、インド、南米と世界中で参加可能ではあったが、場所やプログラムによっては「語学力の条件」があった。無論、語学力は皆無だったので諸外国語の公式テストなんて未受験。つまり、語学条件が無いプログラムを選択した。
③貧困のイメージ
カンボジアといったら「貧困」「治安が悪い」というイメージが強かった。実際にテレビで流れるカンボジアの情報はそれらに関することであって決していい情報はなかった。今、思えばテレビの印象操作は言い過ぎでもそれに洗脳されていたのは否めなかった。つまり、私の目で現実世界のカンボジアを見て知ろうとしなければならないという「使命感」を感じていた。百聞は一見に如かず。
夏休みの2週間
2週間の内、約1週間弱は観光で他の1週間は団体が支援している幼稚園でのボランティア活動だった。食べ物、建物、人種、言語、歴史、生活、環境といった全てが新しく、彼らの生活の一部を体験することのできる2週間は貴重だった。
プノンペンの幼稚園
ボランティア活動は首都であるプノンペンの幼稚園へ行った。そこで幼稚園の門(外壁)のペンキ塗り、ブランコの設置、トイレ周りの整備、小さな畑作り、子供たちのご飯の準備、そしてメインは「子供たちとの遊び」だった。今思うと、意外にも大きなことをやっていたという感想がある。
毎回バスで幼稚園に向かうと子供たちが走って出迎えてくれて、帰るときも門まで見送りに来てくれる彼らの笑顔は大切な思い出になっています。
シェムリアップで観光
シェムリアップにはご存知、「アンコールワット遺跡群」がある観光名所。そこでスタッフと共にほぼすべての遺跡を回った。現地の人の案内だからこそ疲れずに効率よく回ることができたと思う。夜はナイトマーケット散策をしたりカンボジアの観光を充実できた。ボランティアだけでなく観光も通してカンボジアを体験できる素晴らしいプログラムだったと思う。
プノンペンでもマーケット巡りやキリングフィールドというポルポトによって大虐殺が行われた歴史的な場所に行ったりとカンボジアの歴史に触れる経験もできた。
得られるもの
2週間の海外ボランティアに参加した私の最大の成果(得られたもの)はボランティア活動を最大限頑張ったことでも、カンボジアについて詳しくなったことでもない(もちろん滞在して多くのことを知った)。
最大の成果とは
全く英語ができない己の能力不足の再認識だ
2週間滞在中はフランス人の男の子と相部屋だった。ジェスチャー交えての意思疎通、ボランティア活動では他の外国人と簡単な会話でも全く何を言っているのかわからない。会話が成立しない場面が毎日起こる。もちろん参加者の中に日本人もいるので楽しく過ごせるが、外国人とのコミュニケーションは必須になる。
最大の屈辱
中学から高校まで勉強できる環境に居ても、いざ必要な場面で発揮できない実力不足。最も衝撃的だったのは中学生くらいのカンボジアの子供がマーケットで外国人相手に数か国語用いて会話をしているのを目の当たりにしたこと。
勉強できる環境に甘えていた私自身が情けなくて仕方なかった。
人生変わった経緯
私の人生がなぜ変わったのか、どのように変化したのか、それらの経緯を紹介したいと思います。
ボランティアでは人生変わらない
結論から言うとボランティアでは人生が変わらない。
この記事の題と矛盾していますがここが一番重要です。
カンボジアの幼稚園でのボランティア活動。体験したいと思えば誰でも参加できます。社会貢献にはなりますが、終わってみて感じたのは大きな部分で自己満足でしかありませんでした。持てる技術を現地社会で発揮し、伝えることで現地人のQOLが向上する手助けできる人がボランティア活動で最大限貢献できると私は考えています。
では、私の場合、なぜ高校生で海外ボランティアしたら人生が変わったのか。
それは帰国後でした。
変わったこと
2週間の滞在で私の価値観と考え方が大きく変化しました。登校する電車での死んだ目のサラリーマンたち、活気のない社会、勉強できる環境に居て勉強しない若者たち。すべての景色が灰色でした。
しかし、他人は他人。
自身の経験を将来に活かすことが最優先でした。そこで私は実践的な能力を学ぼうと帰国後即決意しました。
実践的な能力を学ぶ
実践的な能力。何よりも足りないものをカンボジアにいる時から感じていました。それは、「コミュニケーション能力」つまり会話です。特に英語能力。
帰国後、すぐに両親に話して、英会話教室に通い始めました。初級も初級。本当に低レベルからのスタート。それだけじゃなく、学校の英語の勉強も真剣に取り組んでいきました。それは大学受験のためでもありましたが、それ以外の機会でも必ず、いつかは英語を当たり前に話す私がいると確信していました。結果的に模試テストでは英語の成績が学校内でトップレベルに上り詰めました。
海外ボランティアで認識した自身の能力不足
将来的に必要と確信した能力
学校でも学べるもの
それが英語でした。
行動と継続こそが大事
私の人生が大きく変わったのは、カンボジアへ海外ボランティアに参加した時ではなく、その後の英語の勉強を熱心にしたから。
英語の勉強が人生を変えたのではありません。
カンボジアで無力だと自己認識したこと。
その悔しさから英語の勉強に取り組み、英会話教室へは大学卒業まで通い詰めて最高レベルまで語学力を磨いたこと。英語力という新しい能力を手に入れたことで活動の幅が広がりその後も多くの日本国内だけでなく海外でも体験できました。
つまり自分を変えたい、変わらないといけないという危機感をもったことによって勉強や目的に向かって最大限努力できる私自身が確立されていきました。
もし海外ボランティアに参加していなかったら
もし海外ボランティアに参加していなければ、私の足りない部分であった環境を活かすこと。勉強を頑張ること。継続的に努力することはできない人間になっていたと思います。
海外ボランティアは難しい挑戦のように聞こえますが、そんなことないです。平々凡々の私も参加しました。嬉しい、楽しい、最高の思い出もたくさんできますが、非日常だから味わえる悔しさや、力不足、社会に対する疑問なども感じるはずです。
中学、高校、大学生、社会人でも海外ボランティアに限らず、新しいことに挑戦しようか迷っている方は少しでも何か得れるのではないかという可能性に期待して挑戦してみましょう!